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槇原敬之『 Birds Stop Twittering Tonight 』

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自分はなんだかんだでブログやメッセンジャーなんかは嫌いじゃない。FacebookやTwitterもそう。誰でもってわけではないけれど、それこそなんでも伝えたがるところは若干あるという自覚がある。もちろん、言っちゃいけないことを判別できるくらいの分別は持っている。

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最近はレビューというか、自分の立場に置き換えた感想になっているけれど、気にせず書いてみたいと思います。今回は槇原敬之の「 Birds Stop Twittering Tonight 」という曲をご紹介しますね。アルバム「Dawn Over the Clover Field 」に収録されています。あまりメジャーな曲ではないですね。


Birds Stop Twittering Tonight

槇原敬之は、最近の傾向だと思うけれどたまに時事ネタをアルバムに入れてきます。この曲以外で言えば「信じようが信じまいが」という曲が「Believer」に収録されているけれど、これはネット上で匿名をたてに他人を攻撃する人たちを批判する曲だったりします。今回紹介する「 Birds Stop Twittering Tonight 」も、そこまで批判めいた曲ではないけれど、携帯電話やスマートフォンに依存しがちな人たちに対してのメッセージソングとなっています。

昭和生まれの青春は
返事もらうまで時間がかかった
ラブレターの答え No でも
心の準備する時間はあった

冒頭の歌詞を少し飛ばして、まずはここから。

自分も昭和生まれなんでこのあたりの気持ちはよくわかる。ちょっと昔だと、気になる人にコンタクトを取ろうと思うと、直接会うか、あるいは自宅に電話するしかなかった。自分も経験あるからわかるけど、自宅への電話って緊張するんだ(笑)なので、基本は会ったときにいろいろ話すことになる。会える場所だって限定されるからその予定まで待つしかない。どうしてもの場合は上述の自宅への電話って手段。当然、返事をもらうのは時間がかかるのが当たり前だった。

この待つ時間って、今から考えたらとても大事な時間だったような気がするんだよね。歌詞にあるようにいろいろ考える時間を取れるということもあるし、待って当たり前だから余裕を持って行動できた気がする。仮によい返事がもらえなくても、そもそも簡単に連絡が取れないんだから立ち直りも早かったんじゃないかな。

今は思った瞬間にコンタクトできる。返事だってすぐ来るかもしれないし、むしろ、返事が少しでも遅れると焦るし、待つことを我慢できなくなってる。これ、昭和生まれの自分も同じ。昔は待てたような気がしているけれど、今を生きる昭和世代も待てなくなってるんだよね。

繋がってないと不安で
短いメール繰り返してる
僕はふと思う 繋がっていたいのは
回線じゃなくて心なんだよな

そして最初の歌詞に戻ります。

じゃあ、なんで待てなくなってるかってのは、やはり不安からかなと思います。どうでもいい人ならほんとどうでもいいけど、ある程度気になる人ならすぐに反応して欲しい、返事が欲しいってのは当然な欲求かなと。気にしてくれているってことの確認という意味あいが大きいね。

自分に置き換えてみても、冒頭で書いたようにメッセージを送ることことは嫌いではないけど、別に誰かれ構わず連絡したいわけじゃない。繋がりが強固でないからこそ通信デバイスを手放せずにしょうもない連絡を入れてしまうわけで、仮に繋がっていたい人と強固な繋がりを持てたと確信できた場合、自分はその他の人と連絡取れなくなってもいいし、その人とも頻繁には連絡しなくなると思う。(さすがに通信デバイス自体はそれ以外でも便利だから、持っていたいけれど。)

携帯の電源は切ったまま
もし君からメールが届いていたら
そう気になるのはいつだって
自分が楽になりたい時ばかり

ここ、心が痛いなぁと。そもそも不安から通信デバイスを手放せないわけで、基本は自分の不安を払拭するため、楽になりたいため。そのためにこちらから連絡を入れるし、たった数日、数時間、数分も返事が待てない状況に、自分以外もみんななってるんじゃないかな。

大好きな人だから
なんでも伝えて良いわけじゃない
大好きな人をつまらないことで
煩わせたり 悩ませたりしてまで
楽になりたくない

メールでもメッセージでもそうだけれど、テキストベースだとどうしても誤解が生まれたりする。これ、人とのコミュニケーションは文字に起こせること以外も大事だと言うことの証左。また、自分の都合や感情だけで相手に対して連絡をすることは、相手を困らせることもあることを肝に銘じないとならない。

「悪いのは僕の方だった ごめん」

で、やっぱり対面のコミュニケーションに勝るものはないと昭和生まれの自分は思うわけです。大事な人なら尚更。やっぱり、直接会って話をするってのは伝わりやすいし、何より自分が楽しいし。こう言っちゃうと、結局自分が楽になりたいだけってことも言えるんだけれど、めんどくさいことしているより会っちゃえよ、ってことなのかなと。でも、そのためにLINEやらなんやらで連絡するし、なかなか矛盾をはらんでますね・・・(笑)

結局、人間が他人との繋がりを求める欲求がある以上、その手段というのはテクノロジーの進化とともに変わっていくし、簡便になってくる。それによって気軽さは生まれるだろうが、その気軽さ故の問題、不安から来る自分本位な行動を引き起こすことも簡便になるってことかな。

よく断食のように通信手段を使わない日を設けるみたいな話も聞いたことがあるけど、そんな日もたまには必要なのかもしれない。

 

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