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社会と差別「The Help」

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(Facebookに投稿した記事の転載です。)

友人から見て感想を聞かせて欲しいと言われていた「ヘルプ(The Help)」を見た。

観単に言えば、公民権運動、しかも、アメリカ南部での人種差別の実態を(加害者も被害者も)女性に焦点を当てて描いた架空のストーリーです。

初めは、年代がよくわからなかった。1900年代ってことはわかるものの、どのくらいなんだろうと。劇中、キング牧師やケネディの話が出てきてようやく1960年代だと理解した。なので、半世紀前が舞台です。

以降、ネタバレ必須です(笑)

面白いのが、男性はほとんど話に絡んでこないこと。差別主義者も、差別される黒人の側も全て女性によって展開されているということ。ここは思うところはあるけれど、今回は触れないでおこうかなと。

他にも幾つか思うところはあって、それはまぁ、今までの自分の考えを補完するもので、新たな気づきってのはなかったんだけれど、差別ってのは後天的なものだと自分は前から思ってる。育った環境によって、差別というのは刷り込まれていくんだろうと。

なので、最近で言えばダウンタウンの浜ちゃんではないが、差別について個人がどうこうと過度に批判するのは間違っていると思っていて、社会の問題だと思うのですよ。個人をいくらバッシングしても、そもそもの社会がそのような差別を生み出すようなものであれば、新たにそのような人が育ってくるだけ。個人に特別差別的な資質や問題が生まれつきあるわけでもない。あくまで、自分の周りの環境、体験によって変わってくるものなんだろうと。

差別とまでは言わなくても、良くも悪くも人を選別することは日常茶飯事。なぜなら、人は他人を信じないから。自分の生活から遠ければ遠いほど、信じないし疑う、疑うから憎悪するようになり、差別や仲間外れに至るわけ。なにも、人種だけの問題じゃない。(劇中でも、シーリア・フットへの対応でよくわかる。)

あまりに理不尽な差別は社会が前進していくことでなくなっていくだろうが、そんな日常的な出来事はなくならないし、そんな意識さえもないんだろうなと思う。それくらい日常ってことなんだろうと。

前に、「私はダニエルブレイク」という映画を見た後も書いたけれど、

”映画を見て、今はなかなか難しいんだけど、もっとこう、弱者に寄り添った仕事がしたいと改めて思う。ちょっと前に「ソーシャルで人を幸せにする」という言葉を書いたけれど、あれの本質は、「SNSを使って弱者を救う」意図だ。単にSNSでリア充アピールしたり、不必要な繋がりを増やしたりすることではない。例えば、孤独死をなくす、とかが本意。”

てな想いを改めて思い起こす。イギリスが最近「孤独担当大臣」みたいなものを設定したと報道があったけれど、まさにそう。強者ではないが、幸運なことに社会的な弱者でもない今の自分が社会に対して何ができるのか。まぁ、日々の生活に追われてなかなか動けないのが実情だけれども・・・。

補足

劇中にエイビリーンの言葉で聞き取れないところがあると、一部ディクテーションさせられた・・・。まぁ、確かに涙声だったので聞き取りづらい。何度か聞き直して、正確な言葉がようやく・・・。

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